郡山の史跡・文化財

郡山市 開成館
写真提供:郡山市

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郡山中心部

開成館(郡山市開成3丁目)

明治7年に当時の県第10区の区会所として建設された、擬洋風の3階建ての建物。明治9年、同14年の明治天皇東北御巡幸の際、宿泊所としても使われました。昭和35年に県重要文化財に指定され、40年に復元、41年からは民俗資料館として一般に公開されています。郡山地方の農具や生活用具、それに安積開拓の指導者・中條政恒の遺品、開拓当時の農具など約1,000点が展示されています。

安積歴史博物館・安積高等学校旧本館(郡山市開成5丁目)

明治23年に落成。木造2階建てで白塗り、2階にはバルコニーのあるしゃれた造りのこの建物は、中等(高校)教育の歴史を今に伝えています。昭和52年、国の重要文化財に指定されると同時に、屋根瓦のふき替えなど大がかりな化粧直しが施されました。そして、安高創立百周年を迎えた昭和61年9月、歴史資料博物館として市民に開放されました。朝河貫一博士、高山樗牛、久米正雄ら偉大な卒業生の遺品や作品他、開校当初からの学校文書など貴重な資料を見ることができます。

郡山市公会堂(郡山市麓山1丁目)

大正13年、市制施行の年に建てられた公会堂はルネサンス調の洋風建造物で、大阪中之島公会堂をモデルにしたと言われています。

如宝寺(郡山市堂前町)

郡山市の中央、堂前に位置する郡山屈指の名刹。正式には高岳山如宝寺。真言宗豊山派の寺。今から約1,170年前、京に上った虎丸長者が平城天皇より馬頭観音像を賜り、帰郷して観音堂を建立、笹久根上人を招き開眼供養を行ったのが始まりとされています。境内には次の6つの重要文化財があります。石造笠塔婆・板石塔婆・板石塔婆(釜堂の碑)・切支丹墓碑・鈴木信教墓・銅鐘(いぼなし鐘)

安積国造神社(郡山市清水台1丁目)

郡山市清水台、国道4号線とさくら通りが交差する付近に大きな石の鳥居が見えます。昔から「八幡様」の愛称で市民に親しまれてきました。大和朝廷の時代、比止祢命(ひとねのみこと)が初代の安積国造になって赴任した時、祖神・天湯津彦命と五穀の神・和久産巣日命をまったのが始まりとされています。境内には、学問の神様菅原道真をまった安積天満宮、そして同神社の神官の子として生まれ、江戸時代の儒学者として近代日本の礎を築いた学者・安積艮斉の銅像が建っています。

開成山大神宮(郡山市開成3丁目)

郡山市開成山公園の西隣、国道49号線をはさんで緑に囲まれた開成山大神宮があります。明治9年9月の創建以来、「東北のお伊勢さま」としてこの地方の尊崇を集めてきました。境内には大神宮御分霊奉遷に尽力した中條政恒の顕彰碑や開成開拓に尽くした阿部茂兵衛の銅像、開拓にちなむ記念碑が建てられています。

郡山 北東部

音路の太子堂(郡山市富田町音路)

郡山市富田の北、旧会津街道に面した音路にある聖徳太子をまつったお堂。その境内に石造りの六重の塔があります。塔身が八角形であるのが珍しく、鎌倉時代中期のものと見られています。市の重要文化財に指定されており、鎌倉時代の石造層塔としては貴重な価値をもっています。

蛇骨地蔵堂(郡山市日和田町日和田)

八世紀前半の創建と伝えられる古堂で、蛇骨を刻んで造ったといわれる地蔵菩薩が安置されています。「佐世姫物語」という伝説が、お堂の縁起として伝えられており、お堂の裏手の石垣の下には、人見御供にされた三十三観音像が立っています。付近には蛇穴や蛇枕石など、蛇骨地蔵の伝説にまつわる遺跡があります。

奥州松並木街道(郡山市日和田町日和田地内)

郡山市福原から日和田、高倉に通じる奥州街道には、道の両脇に約340本以上の松並木があったといわれています。現在、その数は減っていますが、それでも当時の面影を色濃くとどめており、道行く人の心をなごませてくれます。

雪村庵(郡山市西田町大田字雪村)

雪舟を慕い、自ら雪村と称した室町期の画家が長く住んだ庵跡を後に再興したもの。東北の片田舎で、卓抜したダイナミックな画風を打ち出していた雪村は、会津葦名氏の知遇を得て、画名を高め、晩年は三春に近いこの庵に住んで活動を続けたといいます。

鹿島神社のペグマタイト岩脈(郡山市西田町丹伊田字宮作)

郡山市西田町丹伊田の県道沿いに、うっそうと杉に囲まれた鹿島神社があります。この境内には、いたるところに白色の巨岩が露出しており、異様な景観を見せています。これが「びょうぶ岩」とも呼ばれるペグマタイト岩脈で、光学レンズや陶磁器などの原料として貴重な鉱物です。阿武隈山系は、日本でも有名なペグマタイトの産地で、北は伊達郡から南は石川郡まで長さ140キロメートルにわたり帯状に連なっています。

郡山 南西部

宇津峰城跡(郡山市田村町谷田川)

宇津峰は、遠く南北朝時代、奥州の鎮守府将軍・北畠顕家らが義良親王を奉じて兵を挙げ、北条、足利らの北朝方と南朝復興の悲願をかけて戦ったところ。今でも矢柄城、長平城、星ヶ城などの城跡があり、頂上には舛の形に土塁を1.5メートルの高さにめぐらした千人留があり、その中に石造りの宇津峰神社の祠が立っています。

郡山 西部

山の井公園(郡山市片平町字山ノ井)

郡山市片平の小高い丘陵地の頂上に神社が建っています。ここが采女伝説発祥の地、山の井公園。采女(春姫)が入水したと伝えられる山ノ井清水は公園入口にあり、そのそばに「安積山影さえ見ゆる山の井の あさき心をわが思わなくに」の万葉の歌碑が立ち、訪れる人を伝説の世界へさそっています。

静御前堂(郡山市静町)

源義経の愛妾・静御前をまった静御前堂。現在のお堂は天明年間に改築されたもので、釘が全く使われていません。境内には、小六の碑、乳母の墓もあり、付近には静が化粧したと言われる化粧坂、身を投げた池は美女池として、ゆかりの地名が残っています。

千手観音立像(郡山市湖南町福良字寺ノ前)

郡山市湖南にある古刹・千手院。ここの観音堂に安置されている千手観音立像は、等身大のヒノキの一本造りで鎌倉中期の作と見られ、地方で造られたものとして貴重な存在です。

東光寺の中地大仏(郡山市湖南町中野字堰内)

源義家が堂の窪にお堂を立て、仏師定朝作の木造阿弥陀如来座像を安置して開基したと伝えられる東光寺。本尊の阿弥陀如来座像は、座高3.31メートル、木造阿弥陀如来座像としては東北地方最大のものであり、金箔に輝く大仏は湖南の人々の厚い信仰を受けてきました。鎌倉後期の作で県の重要文化財。

参考リンク:
郡山へ行こう!郡山市観光協会
郡山市観光協会が提供する郡山市の総合観光情報サイトです。